少し前に、面白いYoutubeチャンネルを見つけて、最近そちらの動画をたくさん拝見していますので、ご紹介します。
そのチャンネルとは…
・いとざききみお【アート哲学】
https://www.youtube.com/@kimio_itozaki
・糸崎公朗の考えるカメラ。と写真。
https://www.youtube.com/@kimioitozaki_photo
この2つのチャンネル。
どちらも、現代アーティスト・写真作家である糸崎公生さんが運営するYoutubeチャンネルです。
私は、ここ2年ほど写真制作について調べていたところ、糸崎さんのチャンネルにたどり着きました。
今まで写真や現代アートについて調べていて、なかなか明快に解説している記事や動画がなかった中で、糸崎さんの動画はかなりはっきりと言い切っておられるため、大変わかりやすく理解や新たな疑問がはかどって、次々と動画を拝見していたところです。
そんな動画なので、つい疑問に思ったことなどを長文コメントで書き込んでいたところ、糸崎さんは回答動画として投稿してくださったりして、とても親切に対応してくださっています。
それで、私が、「現代アートのコンテキスト」について質問をしたところ、その正体がわかりににくかった「現代アートのコンテキスト」について糸崎さんの考えを詳しく、わかりやすく説明していただいています。
↓以下がその動画
・【現代アートのコンテキスト文脈とは何か?】アート哲学
https://www.youtube.com/watch?v=A_X-g884xLc
とても、丁寧に対応していただいたので、私もなんども動画を見返してできる限り理解しようとして感想?をコメントでお返ししました。
そのコメントをいかに載せておきます。
——————-コメントここから
質問にお答えいただいてありがとうございます。
素人にもわかるように優しくお話しいただいて、わかりやすかったです。
お勉強レベルでしか理解できなくて恐縮です。
今のアメリカがメインの市場である現代アートで、作家が自分の作品を流通させるには現代アートの文脈に沿って作品を作る必要がある…というのが基本だけど。
実は、アメリカ市場の現代アートというのは起源という点で美術史の途中からで、本当の文脈とは途切れている。
しかも、その流れは、パンクなマネから始まり、デュシャンの便器、村上隆のロンサムカウボーイ…と、不快なものを提示するのが現代アートのようなおかしなことになっている…
本来の美術史の文脈は、ルネサンスのダビンチらに起源があり、エステティック・美などを含む流れ?なのではないか…。
という風に聞き取りました。
ちょっお話が、途中で階層を降りては戻る…という構成だったので、正確な意味を取れていないかもしれません。
せっかくお話いただいたのに、誤解していたら本当に申し訳ございません。
あと、以前から思っていたことと、お話を伺っていてよぎったことをメモしておきます。
コンテキストというのは、今のアメリカ中心の現代アート市場でのレギュレーションみたいなものかと思っていました。その仕様で作品を作って初めて市場に出せる…という。
だから、今のアート市場を時代を遡ると、どこかで違う市場・アートの界隈(サロンとかパトロン?)があって、その時代ではコンテキストで作品を作ってはいないかったのでは?と漠然と思っていました。
それは、今のアートの扱われ方による都合があって、過去は一人のパトロン・顧客が気に入ればよかったのとは違い、今は複数の顧客にオークションなどで販売するまた美術館が収蔵する..という時に、多くの人に作品の価値を説明しないといけない、その根拠のひとつとして過去の偉大な作品の文脈にある…というような価値のつけ方をつくったのでは?と思いました。
なので、もし今、アメリカの現代アート市場とは別の市場があったとしたら、そこでは全然違う評価基準がある…というようなものかと。
コンテキストを気にする…というのはアメリカのアート市場のほうを向いて作品制作をしている…ということなのでしょうか?(それとも全時代共通の価値観?)
たまたま、それ以外のアート界隈というのは無いようなので?アートで食べるにはそうなるのかもしれません。
ただ、(アートなのか?とか作品の価値などはおいておいて)ラッセンみたいな人もいると聞きました。かれは自分の市場で商売しているような話に聞こえました。
しかし、お話しの中でコンテキストは、そうではないようですね。必ずしもアメリカのアート市場だけの基準ではない。
アートは自由にやっていい…とのことですが、これまでのアートの歴史と全く無関係に独創的なことをやっても評価されない。コンテキストが必要。
これ、論文を書く時に必ず根拠となる過去の論文の引用が必要..とか、Jazzで自由にアドリブするために膨大な演奏のルールを覚えないと演奏を始められない…というのに似ている気がしました。
しかも、こういう高度な表現は、それを勉強しないと良さや価値がわからない…みたいなところは、今自分が写真・アートについて調べている行為とオーバーラップします^^
(村上さんが記者に勉強してこい…っておっしゃったことに触れておられますね、これはどういう意味でしたかと)
村上さんが、
オリジナルではなく、似たキャラを作って(買い取って)、象徴的なシンボルを作ってアニメカルチャーを表現した..というのが、現代アートのやり方に見えていました。この象徴的なキャラを作ってアニメ文化を表現するkとが現代アートの方法・意義なのかと思っていました。
しかし、ドラえもんはそのまま使ってしまってますね…ドラえもんは借り物、DoBくんはオリジナル(かな?)この違いに価値の違いはあるのかな…
ジェフクーンズが、ミッキー調のキャラを仕立てて作品を展開するのは良いとして、ドラえもんをそのまま使うのは、単にコラボとも見えます。
ひまわりのモチーフの作品がどうみればいいのかよくわからなかったのですが、ウォーホルのflowerをみて、これをやってるのか?とも思いました。まあそれは見た目だけですが…
デュシャンの泉は、既製品の便器ってよく見たらこんなにいいデザインじゃん…っていうのではく、
こつこつ作ったものだけが作品になるのではなくて、既製品の便器だってデザインされてるんだよ…っていう、みんながアートとは思いもしなかった既製品をアートだって言う…発想の転換・行為がアートなのかな?と考えていました(ここはパンクぽい?)。
だから、それは一回きりの手で、これもアートになる…といろいろ既製品を出してくるのはデュシャンの作例を作ってるだけにも見えます。
こんなことを考えておりました。
お答えいただきまして、ありがとうございました!
——————-コメントここまで
どこまで、理解ができているかは怪しいですが、大変 勉強になっていることは確かです。
このように糸崎さんにはとても親切に対応していただいています。
写真やアートに興味があるという方は、一度チャンネルを覗かれてはいかがでしょうか?^^
今日はそんなYoutubeチャンネルのご紹介でした。
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